シリコンバレーの歴史


 

シリコンバレーは一人の男の考えから生まれたと言っても過言ではない。

彼の名を「フレデリック・ターマン」という。

彼はスタンフォード大学の教授として教鞭をとっていたが、優秀な卒業生の多くが就職先を求めてこの地を離れ、東海岸に移ってしまう当時の状況を危惧していた。彼は優秀な学生を見つけてはスタンフォード大学周辺でビジネスを起こすことを勧めていた。

やがて彼は二人の優秀な学生に出会うことになる。二人の学生の名は「ウィリアム・ヒューレット」「デビット・パッカード」。ターマンは二人を強力に支援し、やがてヒューレットとパッカードは1937年、カリフォルニア州のパロアルトという町の小さなガレージで創業する。この会社こそが後の「ヒューレット・パッカード(HP)」であり、創業の地パロアルトを中心としたその一帯はやがて「シリコンバレー」と呼ばれるようになる。

創業の地で記念写真を撮るヒューレット&パッカード

「ヒューレット・パッカード」にはスタンフォード大学から優秀な学生が続々と就職し、アメリカで最も先端的な企業といわれるようになった。

ターマンは大学の周辺に企業があり、優秀な学生と企業が連携して新しい技術を世に出すことが非常に有効であることを確信。第二次世界大戦後、ターマンは政府や大学に働きかけ、スタンフォード大学の近くに「スタンフォード・リサーチ・パーク」という工業地帯を作り、全米から先端企業や研究所を誘致した。

そのとき誘致した研究所の中にトランジスターを発明したベル研究所のウィリアム・ショックレーがいた。彼はトランジスタを発明後、「ショックレー半導体研究所」を創設し、全米から天才技術者を集めた。

しかしウィリアム・ショックレー博士は研究者としては優秀であったが、マネージャーとしては最悪だった。

ショックレー研究所に集められた天才技術者達はみな、ショックレーに嫌気がさして研究所を去っていく。ショックレーに嫌気がさしてスピンアウトした技術者の中に、ロバート・ノイスを筆頭とする8人の技術者がいた。ショックレー博士から「8人の裏切り者」と呼ばれた彼らはフェアチャイルド&カメラ社から出資を得て「フェアチャイルド・セミコンダクター」を創業。当時の新技術であるシリコン製のトランジスターを発明して大成功する。

ロバートノイスはフェアチャイルドで伝統的なピラミッド型組織による縛りをなくし、技術者が能力に応じて自由闊達に好きな研究に取り組める企業風土が育った。現在グーグルなど多くのハイテク企業が取り入れている企業風土や組織体制の原型がこのフェアチャイルドにはあった。

しかしフェアチャイルドは出資者(フェアチャイルド&カメラ社)との軋轢や対立から創業メンバーが次々とスピンアウトし、フェアチルドレンと呼ばれる多数のハイテクベンチャー企業が生まれた。ロバート・ノイスも仲間のゴードン・ムーアらと新たに会社を創業した。その会社の名はインテグレーテッド・エレクトロニック・カンパニー。後の「インテル」です。

インテル創業者

(左からアンドリューグローブ、ロバートノイス、ゴードンムーア)

「インテル」はコンピュータの心臓部がひとつのチップに収まるマイクロプロセッサー(CPU)を世に出し、現在のパソコン市場の礎となった。またロバート・ノイスと一緒にインテルを作ったゴードン・ムーアは「半導体の集積回路は18か月ごとに倍増していく」という有名な「ムーアの法則」を提唱。IT産業は今も「ムーアの法則」に従った成長を続けている。

現在ではソフトウェア産業の聖地ともいうべき「シリコンバレー」ですが、なぜこの場所がシリコンバレーと呼ばれるのか、何故フレデリック・ターマンが「シリコンバレーの父」と呼ばれるのか。そしてこの地から最先端のIT企業が次々に誕生するのか。

少しだけでもご理解いただけたら幸いです。