水に落ちた犬

2018/01/19


「打落水狗(だらくすいく)」

『阿Q正伝』、『狂人日記』などで有名な中国の小説家、魯迅が書いて有名になった言葉。
日本語でいうと「水に落ちた犬は打て」

現在では落ち目になった者や失敗者が徹底的に叩かれることを意味して使われることが多いが、もともと魯迅がこの言葉を言った意味は「フェアプレー」に対する反語的な意味が含まれています。

中国の古いことわざに「水に落ちた犬は叩くな」というのがあります。

勇者は「負けて弱った敵」には攻撃を加えるべきでないという意味。
しかし魯迅はこのことわざに対してこう述べています。

話にきくと、勇敢な拳闘士は、すでに地に倒れた敵には決して手を加えぬそうである。これはまことに吾人の模範とすべきことである。

ただし、それにはもうひとつ条件がいる、と私は思う。すなわち、敵もまた勇敢な闘士であること、一敗した後は、みずから恥じ悔いて、再び手向かいしないか、あるいは堂々と復讐に立ち向かってくること。これなら、むろんどちらでも悪くない。しかるに犬は、この例を当てはめて、対等の敵と見なすことができない。

何となれば、犬は、いかに狂い吠えようとも、実際は「道義」などを絶対に解さぬのだから。まして、犬は泳ぎができる。かならず岸へはい上がって、油断していると、まずからだをブルブルッと振って、しずくを人のからだといわず顔といわず一面にはねかけ、しっぽを巻いて逃げ去るにちがいないのである。

しかも、その後になっても、性情は依然として変わらない。愚直な人は、犬が水へ落ちたのを見て、洗礼を受けたものと認め、きっと懺悔するだろう、もう出てきて人に咬みつくことはあるまいど思うのはとんでもないまちがいである。

(『フェアプレイ』はまだ早い」 魯迅 『魯迅文集3』竹内好訳 ちくま文庫)

当時の中国では共産勢力と反共勢力が血で血を洗う権力闘争を繰り広げていて、負けた相手に温情を与えるとやがて敵は復活して攻撃を仕掛けてくる。だから「水に落ちた犬は打つべし」というわけです。

日本の武士社会でも、戦で負ければ敵の大将と子供(男子)は殺されるのが武家の習い。
平清盛は平治の乱で敗れた源義朝の子供たちに温情を与えて生かしておきました。すると殺されずにすんだ子供たち(源頼朝、義経、範頼)はやがて成人し、平家を徹底的に滅ぼしてしまうという日本史上の有名な例があります。

フェアプレイの精神である「水に落ちた犬は叩くな」
魯迅が説いた「水に落ちた犬は叩け」

さて、あなたはどちらを選ぶだろうか?