契約の本質


契約書

最近読んだブログ記事の中で、とても感銘を受けた、目からウロコだった話を紹介。

ずっと思っていたことで、海外が契約社会なのは”相手を信用できないから”だと思ってましたが、どうやらそうでもないようです。

他人を信用しない日本社会、他人を信用する米国社会
(足立明穂@IT大道芸人のインターネットビジネスコンサルタントな日々)

米国は、契約書があるから、人を信用していないっていうけど、それを守るということが前提で、そこでは信頼関係なのですよね。まず、信頼するから契約書を交わすのであって、んでもって、結果として信じられなかったってことで、契約違反として扱う。

これが、日本人の発想だと、裏切るかもしれないから、最初に契約書で縛っておけ!ってことなんでしょ?って思っている。

たしかに言われてみれば!!

仕事であれ私生活であれ、そもそも信用できない人や企業と契約なんかしませんよね。
信用できない相手と結婚するかといわれると、しない。

相手が信用できないから契約で縛るという発想だと、

・あんな奴は顔も見たくないけど、契約書があるから仕方なくやる。
・契約書に書いているからとことん相手を追い詰める

など、あまりいい結果を生みそうにありません。

法的には契約は文字に残さなくても口約束で成立するといいます。
契約の本質というのは「相手との信頼関係」なんでしょう。

だから契約書がありきで物事がスタートすべきではないし、揉めて契約書がどうとか言い出した時点で、そのプロジェクトは崩壊が近いと思ったほうがいいかもしれません。